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大阪高等裁判所 昭和44年(う)1337号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役七年に処する。

原審における未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

理由

〈前略〉

原判示第一の事実につき、被告人および弁護人らの各控訴趣意は、要するに、妻と見間違えて言葉をかけた被告人の誘いに対し、相手の坂本治美が、白タクではないかと疑つて一応断わる様子は示したものの、強く拒絶する態度もみせなかつたので、被告人としては、同女が承諾してくれたものと思い、これを自分の自動車に同乗させたまでのことで、同女を無理に車内へ押しこんだり、判示のような暴行又は脅迫を加えた事実はなく、この点は、通行人に助けを求めあるいはその場から逃れ去る等の機会がいくらもあつたのに、同女がかかる行動をとつていないことからも裏付けられ、したがつて、被告人には不法監禁の犯意も行為も認められないにもかかわらず、被告人の原審公判における弁解を排斤して、当時酩酊状態にあつたため記憶が確かでないはずの坂本の原審における虚偽の証言や、原判示第二の事実の動機ときめこんで取調が行なわれたことにより任意性も信用性も欠いている被告人の検察官に対する自供調書等を信用し、また、原判示暴行の態様と符合しない診断書等を証拠として監禁致傷の事実を認定した原判決は、採証法則を誤つた結果、重大な事実誤認をおかしている旨を主張する。

しかしながら、訴訟記録に徴すれば、坂本治美の原審における証言は、帰宅の途中見知らぬ被告人から誘いをかけられ、無理にその自動車に乗せられて無縁の土地まで同行を強いられ、その同行および脱出阻止の手段として原判示のごとき暴行および脅迫を受けて受傷した経過をよどみなく叙述し、執拗な反対尋問にも動揺することなく、重要な部分において目撃者らの供述内容に裏付けられている等の点からして、所論のようにその信用性に疑いを挾む余地は全く認められず、また、大綱において右坂本の証言と符合する被告人の検察官に対する供述調書中の自白については、当審における事実取調の結果に照らしても、取調の検察官が原判示第二の事実との関連において供述を無理強いしたごとき証跡をうかがうことはできないのであつて、これらの各証拠に加えて原判決の挙示する関係証拠を総合するときには、犯意の存在をも含めて原判示第一の事実はその証明が十分なものと考えられる。すなわち、右各証拠によると、クラブのホステスをしていた坂本は、本件深夜、勤務を終わつて同僚とともに帰宅の途につき、同僚と別れてからひとりで歩道を歩いているとき、自動車を運転している面識もない被告人から、送つて行つてやろうなどと声をかけられたが、相手にせず、そのまま暫く居宅の方向へ歩いて行くうち、同女の容姿にひかれて追尾したうえ、自動車を降りてきた被告人に突然背後から身体をかかえるようにされ、送つて行つてやろうとか飲みに行こうなどと言つて誘われたこと、同女は、あたりに人気がなかつたので、静かに話した方が無難であると考え、時刻も遅く、早く帰宅しなければならないから、放してくれと答えて断わつたが、被告人は無理に同女の腕を引張るようにして停車している自動車の右側の辺まで連行したのち、後部座席のドアをあけ、同女の胸もと辺を突きとばすようにしてこれを車内に押しこんだこと、このため同女が背中を打つて起き上がれないでいる間に、被告人は右座席のドアをしめ、みずから運転台に乗つて自動車を発進させ、起き上がつた同女が車をとめてくれるよう再三懇願しても、聞き入れてくれる様子がなかつたこと、かくして、不安に駆られるまま、同女が窮余後部座席のドアをあけ、隙をみて車外に脱出しようとしたが、自動車がかなりの速度で走つていたために、危険でとび降りることもできず、同女の靴をはいた足が開いたドアからはみ出している状態で自動車は走行を続けたこと、同女はさらに停車してくれるようにと哀訴をくりかえしたが、被告人はドアをしめうと言つて応ずる気配もみせず、かい性があつたらとび降りてみろなどと言つて同女を脅迫したこと、そして、被告人は、信号機の現示なども無視しながら、ひき続き自車を疾走させ、人通りもない原判示場所の付近にいたつて車をとめたので、坂本はすかさず車外に出て逃げ出したところ、追つてきた被告人にうしろから突き倒され、背部を足蹴りにされたうえ、立ち上つたさいに顔面を平手で数回殴打されたこと、一方、ドアが開かれ、人の足が出たまま進行している被告人の車両を不審に思い、自動車でこれを追尾してきた泉川栄一、木下一幸らが、右暴行の現場近くに到達したので、坂本は泉川らに助けを求め、その自動車で直ちに警察におもむき、被害の事実を申告したこと、被告人は、坂本が泉川らのもとに救助を求めて走り寄るのを見るや、身を翻えして自車の運転台に戻り、あわててこれを発進させてその場から退散したこと等の諸経過を明らかに認めることができるのである。所論は、被告人が坂本を自分の妻と見違えたなどというけれども、以上のような被告人における一連の行動に照らせば、右が一片の弁解にすぎないことは多言を要せず、また、坂本が被告人の車両に同乗することを承諾していたかのごとき主張も、乗車のさい助けを求めるべき通行人もなかつたこと、被告人車両の走行中同女がドアから足を出したままの状態でいたこと、同女がたまたま来合わせた面識もない泉川らにすがりつくように助けを求め、これをみた被告人があわててその場から述げ去つたこと等の動かしがたい情況事実からみて、とうてい採用に値する反論とはおもわれない。さらに、原判示暴行および脅迫の行為は、職業がら当時多少の飲酒はしていたにしても、当夜のできごとについて鮮明な記憶をとどめている坂本の証言や、一部暴行の場面を現認している泉川および木下の証言等によつて、疑いもなく明白なところであつて、坂本の受けた傷害の部や程度が暴行の態様と逐一対応していないからといつて、右暴行の行なわれた事実を覆えす根拠となるものではないから、これらの行為を否定する所論もまた採用のかぎりでない。かくして原判示第一の事実を争う論旨はすべて理由がない。

つぎに、原判示第二の事実につき、被告人および弁護人らの各控訴趣意は、原判決が罪証に供している昭和四二年八月三一日付司法警察員岩井吉治作成の実況見分調書は、当初業務上過失致死事件として立件された本件を殺人事件に切りかえるとの捜査方針に従つて、事故現場から約154.6米手前の地点ですでに被告人が被害者らを発見していたことを無理に押しつけた内容のものであり、また、被告人の司法警察員に対する供述調書は、右実況見分の結果等に基づき、被告人が故意に被害者らを轢殺した趣旨を自白させようとし、否認を続ける被告人に対し、数数の暴言をはいたうえ、頭を殴り、足蹴りにし、被害状況の写真を提示して、見まいとする被告人の眼を無理に開かせる等の暴行を加えたほか、取調の間終始手錠をはずさず、また、被告人の妻を呼び出して離婚を強要するなど不当な威圧を加える一方、殺意を認めれば寛大にはからつてやるなどと利益誘導をも交じえて、被告人を畏縮混乱に陥れた状況のもとで作成され、さらに、検察官に対する供述調書も、右警察官による不当な取調の影響が残存している状態において、被告人の弁解を一切受けつけず、取調室に担当警察官を同席させて被告人の弁明を排除させながら、強引に殺意を認めるようにしむけて作成されたものであつて、いずれも任意性および信用性に欠けるものであるにもかかわらず、右の諸点についてあまねく判断を示さないままその任意性を肯認し、これらを主要な証拠として事実認定の資料に供した原判決は、採証法則を誤る違法をおかすとともに、憲三八条二項にも違反している旨を主張する。

そこで、訴訟記録中の各資料に当審の事実取調の結果を加えて検討してみるのに、被告人が逮捕されたうち、原判示第二の事故現場に関する実況見分は、昭和四二年八月三〇日の午前一〇時過ぎから一一時にかけて司法警察員野村和行により、同月三一日の午前零時から一時にかけて司法警察員福山俊三により、また、同日の午後八時三〇分から九時過ぎにかけて司法警察員岩井吉治によりそれぞれ実施され、右一回目と三回目はいずれも被告人を同行し、二回目は警察関係者のみで行なわれたものであるが、一回目に、被告人が被害者らを発見したさいの自車の位置として指示した地点と事故発生地点との距離が約六九二米であつたのに対し、二回目に警察関係者の間で実験したところでは、事故発生地点から約一五〇米西方に距たつた地点において事故発生地点に佇立している人物を他の者と区別して確認することができ、約一二〇米西方の地点にいたると、右人物の着衣が暗黒色であつてもその人影を確認することが可能であるとの結果がえられ、さらに三回目においては、被告人が被害者らを発見したさいの自車の位置として指示した地点が事故発生地点から西方約154.6米を距てた箇所に変更されていることが認められる。右捜査の経緯を一見すると、被告人が被害者らを発見した地点を事故発生地点からなるべく遠方にするように警察官において被告人を誘導したのではないかとの想像を容れる余地が全くないとはいえないにしても、岩井吉治の原審および当審における各証言によれば、三回目の実況見分を担当した岩井吉治は、捜査主任官である福山俊三の指示に従つてこれを実施したものではあつたが、前二回の実況見分の結果について詳細な伝達を受けることなく、本件事故のさいと同様の夜間において被告人がどのような指示をするか独自の立場から改めて見分してみようとの方針のもとに、被告人を自動車に同乗させ、車両を移動させる間に被害者らを発見したさいの自車の位置をその発見認知の度合に従つて順次指示してゆくようにあらかじめ被告人に言い含めておいたうえ、被告人の指示するままに自動車を停車させて、その地点の路上にしるしをつけ、のちに各地点の間を検尺するという方法によつて見分を行なつたところ、前記のような数値の検出されたことが明らかにされている。そして、右被告人の指示については、警察官の側から暗示、誘導又は反問等がなされたことをうかがうべきなんらの形跡もなく、また、本件が殺人被疑事件に切りかえられたのは、前記三回の実況見分が行なわれたのちの同年九月初旬に入つてからのことである等の諸点を考えれば、結局、右三回の実況見分は、捜査を一層綿密的確にする目的のもとに数次にわたり継続して実施されたもので、その条件の再現が整つてゆくにつれて次第に正確度の高い見分の結果がえられたとみるのが相当であつて、右見分結果の変遷している点をとらえて、前記三回目の実況見分調書の内容を特殊な捜査目的から無理に作出された虚偽のものであるとする所論は採用に値するものでない。つぎに、原判決が証拠として挙示している昭和四二年九月八日付被告人の司法警察員に対する供述調書は、司法警察員福山俊三が取調を担当して録取作成したものであるが、同人の原審および当審における各証言その他の各資料を総合すれば、同人その他の警察官が、被告人の取調にあたつて、所論のごとき暴言をはき、暴行を加えたことがないのは勿論、凄惨な被害現場の写真を見せたり、利益誘導にわたる働きかけをした事実も認めることができず、また、被告人の妻との離婚の件は、被告人の妻が自発的に警察へ出頭し、離婚のことで被告人と話し合いたいからと言つて面会を申し出たので、その当否を慎重に考慮したうえ、被告人と個室で面会をさせたというにとどまり、被告人の妻から、生計や子供の養育の点を考えて一応離婚の手続をとりたい旨の話をきいてやつたことはあるが、その機会にも、同女に対し積極的に離婚を勧告するような発言をした事実はないことが明らかに認められる。ただ、取調の間、つねに被告人の手錠をはずしていたかどうかの点については、福山証人の記憶は必ずしも明確でないが、仮りに手錠をかけたままで取調をした場合があつたとしても、被告人が、本件事故発生後逃亡を続け、ついに黒部峡谷にいたつて自殺を計つた事後の行動を考慮すれば、戒護と事故防止の見地からして右の措置をとつたことが妥当を欠くものとはいえず、これをもつて被告人に自白を強要するための不当な威圧の手段とみなすことはできない。さらに、原判決が罪証として掲記している被告人の検察官に対する各供述調書は、いずれも担当検察官八木広二による取調の結果を録取したものであるが、同検察官の原審および当審における各証言によれば、同検察官は、警察における取調の結果にとらわれることなく、本件を故意犯として構成するか過失犯として処理するか白紙の立場で決定すべく被告人の取調に臨み、殺人という罪名をおそれる被告人に対し、法律的な意味の説明を行なつて納得させたことはあつても、事案の内容についていやしくも供述の無理強いにわたるような取調をした事実はなく、取調室に警察官を同席させたのも、専ら被告人の戒護にあたらせるためであつて、取調自体に関して容かいすることは一切許していなかつた状況を認めることができる。かくして、被告人が警察および検察庁における取調にさいして、所論のような暴言暴行による強制威迫や、利益誘導又は供述の無理強い等を受けた事跡は全く認められないのみならず、原判決の挙示する被告人の各供述調書の内容をみると、各具体的場面における被告人自身の知覚や心理の移り変りを描写するにあたつて、当審に提出された被告人本人の作成にかかる控訴趣意書と、用語を同じくし、語感を共通にする表現箇所を随所に発見することができるのであつて、右は各取調官が、被告人の任意に供述するところをできるかぎり忠実に録取して調書を作成した事情をうかがうに十分なものと考えられ、彼此総合して考察するときには、前記被告人の各供述調書が所論のごとく任意性を欠き、ひいては信用性もないものとみなすことはできず、結局この点の論旨もすべて理由がない。

ついで、原判示第二の事実につき、検察官の控訴趣意第一点は、事案の客観的経過と任意性に疑いのない被告人の捜査官に対する各供述調書の内容に徴して、少なくとも未必的な殺意の存在は認めるべきであるとし、被告人および弁護人らの各控訴趣意は、被告人において被害者らの存在に気づいていないのであるから、殺人の故意は勿論、傷害についても故意は認めるべきでなく本件は過失事犯であるとして、いずれも原判決の採証法則違背および事実誤認を主張する。

そこで、訴訟記録および各証拠ならびに当審における事実取調の結果を総合してみると、原判示第一の犯行後自己の自動車で逃走を企てた被告人が、同判示の経路で自車を走行させるうち、自車の直後を追随して来る車両のあることを知るや、右第一の犯行のさいの目撃者らが追跡してきたものと考えて驚愕狼狽し、時速約九〇粁の高速度で自車を疾走させ、原判示王子動物園前交差点における停止信号にも構わず、路面電車の線路敷内に車体の一部を進入させた状態で直進暴走を続けたこと、そして、同判示の時刻ごろ、本件事故発生地点から約一五〇米手前にあたる同判示地番付近の場所を通過するさい、その前方の右距離を距てた交差点に設けてある横断歩道の近くを、原判示被害者三名が友人二名と前後しながら進路の左側から右側の方に向かつて歩行横断しているのを認めたが、警笛を吹鳴することもなく、減速、制動、転把その他なんら事故回避のための措置をとることもせずに疾走を続け、右横断中の被害者三名に自車の前部を激突させて、同人らを一挙にはねとばし、いずれもその場で即死するにいたらせたこと等本件事故発生にいたるまでの主要な事態の推移は、すべて原判決が詳細に判示しているとおり明白な事実と認められる。被告人および弁護人らの論旨は、右のうち、被告人が事前に被害者らの存在を発見していた点を強く争うけれども、原判決の挙示する司法警察員作成の各実況見分調書、目撃者らの各証言および被告人の捜査中の各供述調書その他の関係証拠に照らせば、原判示のとおり、現場の地形、見通し、照明等の状況および記憶の根拠まで明らかにしている被告人の指示供述からして、被告人が、少なくとも事故発生地点の西方約一五〇米手前の地点を通過するさいに、横断をはじめていた被害者らの人影を発見認知していたことは疑いのない事実とみなければならない。そして、この点と前記被告人の外形的な行動経過から考察するときには、当時被告人が逃走の目的を遂げようとする一念にまかせて、瞬時のできごととはいえ、前方の横断者をはねとばしても直進疾走を続けようとする意図をその脳裡に生じたことは、否定しがたいところであつて、この点で、原判示第二の事実につき、これを故意犯として評価認定した原判決の判断は、その限りにおいて相当なものであつたということができる。しかしながら、原判決は、前記高速度のまま自動車を歩行横断中の被害者に激突させる点についての故意を認定しながら、被告人に未必的にも殺意を有するまでの動機がなかつたことや、被告人の捜査中における供述調書中未必の殺意を認めた部分が取調官の追及による真実性の疑わしいものであることその他被告人の性格等を理由として、未必的にも殺意が存在したとまではいえないとの判断を示しているのであるが、右判断に関しては、検察官の所論が指摘するとおり大きな疑問を抱かざるをえないのである。すなわち、右のような高速度で疾走している自動車が直接人体に激突した場合において、その被害が重傷の程度にとどまらず、ほとんど例外なく死亡の結果を招来するであろうことおよび通常人ならばかかる理解を当然もち合わせているはずであることは、原判決の引用する意見書によるまでもなく、経験則に照らして明白な事項というべきであつて、前記のように高速度の自動車を歩行中の人に激突させる点につき故意が認められる以上、少なくとも未必的には、右の故意をもつて人を死亡させるにいたるべき殺人の故意として評価するほかはないものと解されるからである。原判決は、殺意を生ずるに足りる動機の存否を問題にするが、多くの場合、殺意を生ずるについては、具体的対象に対する怨恨、敵意等の感情や、経済的又は生活上の利害関係等がその動機となつているとはいいえても、自動車を疾走させて逃走する間に、たまたまその進路上に発見した人を排除しようとする意図を生じた場合に、それが右のような感情や利害関係を伴わない瞬時の発意であるがゆえに、殺意を生ずべき動機とするに足りないとする見解は当をえたものではない。また、被告人の捜査中における各供述調書中、未必的殺意を肯定している部分が、取調官の追及に答えた記述にすぎないとしても、かかる部分を除いたその余の供述において、被告人は、衝突にいたるまでの自己の心理の動きを、刑罰責任に関する配慮等を離れて、率直かつ克明に叙述しているのであつて、これらの叙述にこめられている真意を、修辞のすえにとらわれることなく吟味するならば、おのずから前記のような未必的殺意を抱懐していた趣旨を汲みとることは十分可能であると考えられる。その他、原判示被告人の性格が殺意の不存在といかなる点で関連するものか了解しがたい点のあることはさておくとして、以上により、原判示第二の事実につき起訴状の訴因に掲げる未必的殺意を否定した原判決の判断が、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認をおかしていることは明らかであつて、この点に関する検察官の論旨は理由があり、同時に過失犯を主張する被告人および弁護人らの論旨は理由のないものというほかない。

なお、被告人および弁護人らは、原判示各事実を通じて、被告人は当時その先天性精神分裂症的症状の発現と、飲酒、疲労、恐怖等のために心神耗弱の状況にあつた旨を主張するが、各資料によれば、被告人が当時相当量の飲酒をしていたことおよび被告人の近親者に一時精神状態の変調をきたしたことのある者が存在することはうかがわれるにしても、被告人の生活歴や本件各犯行の経過をし細に検討し、また、本件に関する被告人の認識、判断および記憶の内容が清明で詳細をきわめている点や、反省とざんげを交じえながら自己の主張するところをくりかえし弁明している捜査段階以来の供述態度等を総合するときには、本件当時被告人が是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力になんらかの支障を有していたものとは認められないから、これと同旨の結論を示している原判断は正当であつて、論旨は理由がない。

よつて、原判決は、前記検察官の控訴趣意第一点の論旨に指摘されているとおり、同判示第二の事実に認められる過誤に基づき、右事実と併合罪の関係にあるものとして一個の刑をもつて処断されている同判示第一および第三の各事実をも含めて、その全部につき破棄を免れないので、量刑不当を主張する検察官の控訴趣意第二点の論旨に対する判断を省略して、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により当裁判所においてさらに判決をすることとする。

原判示第二の事実に対応する犯罪事実として起訴状の記載にかかる第二の事実を引用し、この事実は、原判決の挙示する各関係証拠のほか、証人渡辺雪江、同田渕洋および同李麒獅の当審公判廷における各証言によつてこれを認める。

本件各事実に法律を適用すると、原判示第一の事実は同判示対応の法条に、右第二の事実は刑法一九九条、五四条一項前段、一〇条(犯情の最も重い被害者中沢怜子に対する罪の刑により処断)に、原判示第三の事実は同判示各対応の法条にそれぞれ該当するので、右第二および原判示第三の罪につき各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条、一〇条により同法一四条の制限内で重い第二の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で処断すべきところ、検察官が量刑事情として主張する諸点をも考慮した結果、事案および各犯情に徴して、原判決の量刑よりもさらに重く処断するまでの事由を認めがたいので、右刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、原審における未決勾留日数の算入につき同法二一条を、原審および当審における訴訟費用を被告人に負担させない点につき刑事訴訟法一八一条一項ただし書を各適用し、主文のとおり判決する。

(三木良雄 西川潔 金山丈一)

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